物事の基本 nuts and bolts 2003 6 2
新聞報道によると、
「親から子に排ガス影響?」という記事がありました。
母親が妊娠中に、ディーゼル車の排気ガスを吸い込むと、
生まれてくる子供が、花粉症というアレルギーを発症しやすい体質になる
可能性が強いということが、
東京都が、ラットを使った実験結果で分かったと伝えている。
排気ガスの浮遊粒子状物質(SPM)が花粉症を悪化させることは、
多くの研究者が指摘しています。
杉花粉が黄色く積もるほどの環境に育った人が、
あこがれの都会生活をしてみたら、ひどい花粉症になってしまった。
聞いてみると、アパートが、交差点の近くだった。
そこで、やむを得ず、郊外のアパートに引っ越したら、
花粉症が軽減されたのです。
しかし、周囲をよく観察すれば、花粉をまきそうな、
花の畑や雑木林がたくさんありました。
それから、水の問題も軽視している傾向があります。
人間の体は、水でできているのです。
水が、人間の体の大きなウェイトを占めているのです。
料理の基本は、水と言われますが、
人間の基本も、水です。
こういうことは、学校の授業で教わったはずですが、
年を取ると、忘れてしまうのです。
年は取りたくないと、よく言われますが、それはなぜかというと、
年を取ると、物事の基本を忘れてしまうのです。
だんだんと自分中心となり、わがままとなり、
自分を誉める人はうれしいが、自分に意見する人は嫌がるようになるのです。
これは、どんなに立派な人でも、年を取れば、そうなるのです。
そういう風になったら、自分は年を取ったと自覚することです。
若い時には、自分に対して、厳しい意見を言うに人にも耳を傾けたのです。
年を取ってしまうと、耳が聞けなくなってしまうのです。
さて、こういう人間は、何かに似ていませんか。
それは、子供です。
子供は、自分に優しくしてくれると、うれしいが、
自分にきびしいと、その人を嫌います。
人間は年を取ると、子供に戻るのです。
そして、やがて、自分の身の回りのことすら、うまくできなくなって、
赤ちゃんに戻るのです。
六十而耳順 六十にして耳順ふ。
晩年の孔子が、生涯を振り返って、述べた言葉です。
孔子を超えるほど偉いと思う人はいないはずです。
そうであるならば、人間、六十を超えたならば、
日々謙虚に、欲得などを捨てて、社会貢献のために生きるべきです。
欲得を求めるのは、六十までです。
それからの人生は、無私の人生です。無我の人生です。
ところで、水をどうやって作っているかを知っていますか。
私は、水を作っている浄水場を見学したことがあります。
世の中、現場を見ないで、偉そうにしている人がいますが、
そういう方は、自分が愚かであることに気づいていない。
しかも、気の毒なことに、それを誰も指摘しない。
浄水場の巨大な池に立ちて、思うことは、
安定的に大量に水を供給することですが、
しかし、良質の、健康によい水を供給することです。
都市部に人口が集中してしまうと、
安定的に大量に水を供給することが重視され、
良質の、健康によい水を供給することが、次善になっていないだろうか。
水と空気は、人間が生きていく上で、基本なのです。
その基本を怠った時、その反作用は現れます。
衛生状態を良好に保つことは、物事の基本です。
衛生状態を無視して、経済発展をしたところで、
その反作用は、大きいものとなる。
これが、砂の上に家を建てることなのです。
経済発展を求めるのは正しいが、
物事には基本があり、基本を守った上での発展です。
基本を守らない発展は、それは徒花です。
子供が少し大きくなると、親に説教めいたことを言うようになるでしょう。
しかし、そんな子供の戯言を誰も聞かないでしょう。
それは、子供がいくら偉そうなことを言っても、
自分の力で生きているわけではなく、
親の保護や援助で生きているわけで、
その言葉には力がないのです。
物事の基本を無視して、発展を求める人は、
いくら年を取っていても、子供に等しい。
それは、60年も70年も生きたかもしれないが、
無駄に年を取ってしまったに等しい。